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ガンと闘い生還した人たちの真実の記録

天仙液体験記
●ガンがわかっても仕事を続けた弟 小倉伸子
[ちょっと話しておきたいことかある。弟の具合が良くないそうだ] 東京の兄から電話でこう伝えられたのは、昨年、厳しい寒さもようやく終わり、桜の開花を心待ちにしているころだった。30余年前に父を肺ガン、続いて叔父、叔母を胃、肝臓ガンで失った私にとって、この言葉は心が凍りつくような衝撃だった。

弟は現在57歳、独身。米国のインディアナ州で日本科理店を経営している。一昨年ごろから食事するとき胸部に違和感かあったが、レントゲン検査では異常は見つけられず、胃薬を処方された。しかし食欲も落ちてくる、便が黒くなるなどの症状が、続くので、再度精密検査を行ったところ、食道ガンの診断がおりたらしい。事実を知った兄は、弟のいる米国へ飛び立った。

「何かの間違いであってくれれば・・・」という祈りも空しく、ガンという顕然たる事実に眠れぬ夜が続いた。出来ることは何でもしうと思った。まず、敵を知ることだ。本屋に飛び込み最初に手にしたのが、偶然としか云い様かないのだか、自身か食道ガンを体験された「賢いガン患者学・命とこころを守る51章」(関根進著)だった。そこで初めて[天仙液]の存在を知ることになる。

さっそく主人か著者にコンタクトをとり、続いて香港の国際癌病康復協会からアメリカ支部に連絡してもらい、天仙液は速やかに確実に、アメリカの弟のもとに届けられた。ただし、すでに彼の食道は、水さえも通過不能になっていた・・・。

診断後も、なぜか在宅待機が1ヵ月も続き、その間、病気やストレスと闘いながら彼は仕事を続けていた。ドクターの指示で、薬局で売られている液体栄養物を臙下可能なうちは口から摂取し、後半は腹部に開けた管を通して命を繋いだ。米国に着いた兄は、流動食をとりながら精力的に仕事をこなしている弟をみて愕然としたという。

天仙液だけは飲み始めた 治療方法か検討された結果、手術は不可能。抗ガン剤と放射線治療が行われるということになった。兄によれば、治療中とその後に続く苫しみは、言語に絶するものだったという。米国の人院費は非常に高額なだめ、治療終了後、即日退院を余儀なくされた。日本では考えられないことである。
激しい麻痺と嘔吐が数日続いた後、ごく少量の水がのどを通った、との知らせを受けたときは暗闇に一条の光を見た思いであった。また、彼も治りたい一心から嘔吐の間に天仙液を飲み始めた。

その3日後、重湯が通ったという報告を聞いたときは、天に舞い上がる気持ちだった。ジュースなどは照射跡にしみて飲めなかったが、幸いなことに、天仙液は大丈夫だった。この時初めて天仙液の威力を知ることになる。その後、徐々に回復し、今日は豆腐を、納豆を、オムレツを‥・と、毎朝の電話の向こうに弟の喜びの声を聞くことができた。放射線の後遺症のせいか、今でも肩、腕に強い痛みが残るものの、その後の経過は極めて順調で、2〜3ヵ月に1度の検査でも再発は認められない。

医師からは1年無事に過ごせればひとまず安心してよいと言われている。ある日「嘘のようにのどが通るようになった」 天仙液を飲み始めてから1ヵ月程過ぎたある朝、「昨日まで通りにくかったところが、嘘のように通るようになった。固まりのような何かが取れたのかもしれない」という言葉を聞いた。

彼の発病からの経過をずっと振り返ってみて、抗ガン剤、放射線治療の後は、天仙液しか服用していないことを思うと、この液の持つ偉大な力を信じないわけにはいかない。
恐らく、免疫力をも高めているのだろう。

本当にありがたいことに、現在では普通の健康人と同じ生活を送っている。昨年11月には30年ぶりに帰国し、1ヵ月間の滞在後、再び渡米。再発の不安と健康上の制約はあるが、今一度、機会があればと夢を迫いかけている。私は、ただ神に祈るばかりである。


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