天仙液の国際癌病康復協会

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天仙液について知る―抗がん天仙液について漢方薬「天仙液」とは

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中国政府が初めて抗がん漢方薬として認可

天仙液(てんせんえき)は、中国政府が漢方生薬だけの配合、処方による抗がん薬として、がんに対する高い治療効果を認め、初めて医薬品として認可された『複方天仙膠嚢(ふくほうてんせんこうのう)』(製品名「天仙丸」)を、最新科学技術によってさらに効果を高めて、液体に改良、進化した抗がん漢方薬(医薬品)です。

天仙液(てんせんえき)は、6,000種類以上あるといわれる漢方生薬の中から、漢方理論、医学・科学理論に基づいて長年にわたり研究を重ね、20種類以上の貴重な漢方生薬を厳選して、最新科学技術によって配合、処方して開発された改良、進化を続ける医薬品の抗がん漢方薬です。
天仙液(てんせんえき)の前身である『複方天仙膠嚢』が、中国政府より初めて抗がん漢方薬として許認可されて以来、さらに改良、進化を続けてきた最新の抗がん漢方薬である天仙液は、現在でも世界各国の大学病院や研究機関、研究施設などで、その作用と治療効果が次々に確認され、立証し続けられています。

現在では、世界20カ国以上に供給されており、多くのがん患者の人たちに使用され、「抗がん漢方薬といえば天仙液(てんせんえき)」といわれるほど、世界的に有名な抗がん漢方薬として、広く知られています。

 

世界に供給されている最新の天仙液
世界に供給されている最新の天仙液

世界の多くの国で医薬品、漢方サプリメントとして使用されています

天仙液(てんせんえき)は、世界各国で医薬品または漢方サプリメントとして、中国、香港はもとより、欧米、オーストラリア、東南アジアなど多くの国で認可され、広く使用されています。

中国、香港では医薬品、オーストラリアではTGA(薬物管理局)から認可を受けた医薬品、タイでは厚生省食品医薬品局から許可を受けた医薬品、アメリカではFDA(アメリカ食品医薬品局)から認可を受けた漢方デイリーサプリメント、台湾では衛生省から認可を受けたサプリメントというように、多くの国で使用されているのです。

品質管理においては、その配合生薬をもとに香港で製品化され、世界的に権威のある厳格な検査機関の香港SGS(スイスに本部を置く世界最大級の検査及び審査登録機関)によって、毒性検査などの品質チェックがなされており、国際的に最高レベルの品質管理を行っています。その厳しい品質検査を経た配合生薬を、香港の製薬会社・中日飛達聯合有限公司の最新工場で一つ一つ製品化されているのです。

このように天仙液(てんせんえき)は、薬草、配合生薬から検査、品質管理、製品化まで、国際基準のもとに香港の製薬会社で厳重な安全体制のもとにつくられて、抗がん漢方薬の「医薬品」として、全世界に供給されています。

日本ではまだ、天仙液(てんせんえき)は医薬品としての許認可を受けておらず、一般的に販売はされておりません。天仙液の入手につきましては、厚生労働省のガイドラインに従って、天仙液の世界製造販売元・中日飛達聯合有限公司(本社・香港)の日本指定個人輸入代行会社に代行を依頼することで、安全に入手できて、安心して使用することができます。

 

 

FDA(アメリカ食品医薬品局)の証明
FDA(アメリカ食品医薬品局)の証明


天仙液の生薬成分と抗がん作用

“薬草の宝庫”長白山で採取された薬草(生薬)を配合、処方した天仙液

天仙液(てんせんえき)に配合、処方されている漢方生薬の薬草の多くは、”薬草の宝庫”として有名な長白山に自生している薬草からつくられた生薬(薬草を乾燥あるいは加工したもの)です。では、なぜ長白山の薬草が貴重で良質なのでしょうか―。

長白山は中国の東北部(旧満州)の吉林省と北朝鮮との国境に位置しています。

この一帯には広大な森林と手つかずの自然が残り、この大自然の恩恵を受けた動植物は、実に豊富で多種多様です。さらに、資源が大変にあることから、古くから“資源の立体倉庫”と称されるほど、長白山は貴重な山です。

薬草については、世界有数の産出国の中国においても、長白山に自生する薬草は約1,300種類あるといわれており、良質な薬草が採れることから“薬草の宝庫”“漢方の故郷”として古くから有名です。

現在では、この長白山は国家が管理しており、許可なく立ち入ることも、薬草を採取することもできません。

 

手つかずの自然の中で育つ長白山の薬草は厳重に管理されている
手つかずの自然の中で育つ長白山の薬草は厳重に管理されている

長白山の薬草に含まれる抗がん作用のある成分

長白山の山頂一帯は、大変に良質な土壌と生育環境にあります。といいますのも、長白山はかつて活火山で、火山爆発が繰り返され、山ふところに火山灰が積もり、長い年月を経て、土壌は火山特有のゲルマニウム、セレン、マンガンなど20種類以上の微量元素や薬用価値の高い成分、抗がん作用のある成分、さらに分析できないような神秘的な成分が含まれているのです。


また、冬が長く、深い雪に閉ざされた極寒の地で、夏は短い気候にあります。この冬の休眠期間が長い自然環境が、最高の良質な薬草を育てる要因ともなっています。ですから、長白山の薬草ひとつひとつはどれも貴重で、その効用は絶大であり、長白山が“薬草の宝庫”といわれる理由です。

 

冬は極寒の地で、深い雪に覆われる長白山
冬は極寒の地で、深い雪に覆われる長白山

長白山の山頂にある天池の水が長寿村の秘訣

長白山の山頂付近には、天池という非常に清冽な水源があります。ここには水源にも多種に及ぶミネラルが含まれています。この天池の水を使用した醸造酒の中に、休眠状態で保存しておいた野生の朝鮮人参を入れておいたところ、なんと、野生朝鮮人参が発芽して再生したと言う話もあります。

これらのことに土地の人たちは別段、驚くこともなかったといいます。それもそのはずで、実際、天池の水や自生する朝鮮人参をいつも口にしている人たちは、他の地域の人たちよりはるかに長生きだからです。そのために、この土地は中国では“長寿村”として知られています。

“長寿村”の人々から見れば、長白山はどんな奇跡を起こしても不思議には感じないのでしょう。天仙液(てんせんえき)の成分は、そのような大変に良質な薬草から選び抜かれたものから生まれているのです。

 

長白山の山頂にある天池の水が長寿の秘訣
長白山の山頂にある天池の水が長寿の秘訣


天仙液の生薬成分による複合作用

天仙液が高い有用性と複合作用を発揮する理由

天仙液(てんせんえき)の高い有効性は、世界各国での臨床試験により既に実証されています。なかでも、アメリカ国立がん研究所において抗がん作用に対して、「有効率80.4%」と報告され、一躍、注目を集めるようになったのです。

ここで言う「有効性」とは、単に「完治」を示すわけではありません。「腫瘍が縮小した」「拡大が認められずがん細胞の増殖が止まった」、あるいは「苦痛が軽減した」なども含まれます。 有効性の確認された症例の多くは、がん細胞の増殖が止まったいわゆる「安定」を示しました。ただし、症例の約2割に進行が見られたことも事実です。

しかし有効性において注目すべきは、その抗がん作用だけでなく、いわゆる西洋医療における3大治療(手術、抗がん剤、放射線治療)との併用で高い相乗効果を発揮するという点です。

抗がん剤、放射線治療による副作用で不快感や嘔吐などが改善されれば食欲は増進し、体力をつけることができます。 また、3大治療による白血球、血小板、ヘモグロビンなどの減少を抑制することで、免疫力が向上し、新生血管の抑制が期待されます。

 

欧米からの医師団も天仙液に注目
欧米からの医師団も天仙液に注目

天仙液の主な成分による複合作用とは

天仙液(てんせんえき)は抗がん漢方薬として開発されましたが、腫瘍殺傷作用の単独作用だけでなく、免疫調整作用や身体機能改善作用、アポトーシスの誘発などが複合的に作用し合い、それが腫瘍殺傷作用を高めているということも確認されました。

つまり、天仙液(てんせんえき)に含まれている生薬の成分が複合的に作用することによって、抗がん作用、身体機能改善作用、免疫増強作用などが、多角的にがん細胞を攻撃するのです。これが漢方薬の特徴であり、天仙液の特性である複合作用です。

 

 

天仙液の複合作用


天仙液が生まれるまで

「有効率80.4%」と報告され注目―天仙液は常に改良、進化を続ける・・・

天仙液(てんせんえき)が誕生してから20年になりました。21年前、天仙液の前身で中国政府より初めて抗がん漢方薬として許認可された製品名・天仙丸を開発した王振国医師と、香港の製薬会社・中日飛達聯合有限公司との3年間にわたる共同研究によって、改良、進化して液体化された天仙液が開発されたのです。

天仙液(てんせんえき)はこの20年間で常に研究開発が続けられており、改良、進化しています。

天仙液(てんせんえき)の前身である天仙丸が研究開発された当時、天津医薬科学研究所での臨床試験の結果、「抗がん効果あり」と認められ、中国国内で注目されました。

その結果、「国家的レベルで研究する価値がある」との評価を受け、中国政府が計画していた国家的プロジェクトの「政府科学技術発展計画」の一項目に取り上げられたのです。

 

江沢民・中国国家主席から賞賛を受ける王振国医師
江沢民・中国国家主席から賞賛を受ける王振国医師

アメリカ国立がん研究所での「有効率80.4%」という結果

そして国家的プロジェクトとして、天津医薬科学研究所、中国中医薬研究所・広安門病院など、中国各地の25の医療機関、大学病院での臨床試験が、3年間の間に集中的に実施されました。

また同時期、アメリカ国立がん研究所での臨床試験において、「有効率80.4%」という結果が報告され、天仙液(てんせんえき)は世界中で注目を集めるようになりました。

このような多くの臨床試験の結果に対して、政府より高い評価が与えられ、中国はもとより、世界的にもさまざまな賞を受けました。

現在、天仙液(てんせんえき)は日本はもとより、アジア諸国やオーストラリア、欧米などにおいて、世界製造販売元・中日飛達聯合有限公司から供給されており、世界中で医薬品の抗がん漢方薬として、また漢方サプリメントとして、多くの人たちに使用されているのです。

 

アメリカ国立がん研究所のロバート・シューメーカー博士と王振国医師
アメリカ国立がん研究所のロバート・シューメーカー博士と王振国医師

江沢民・中国国家主席が天仙液を視察

「天仙液(てんせんえき)によって、わが国に多大な貢献をしたことを賞賛する」―1991年の冬、当時の江沢民・中国国家主席が、中国東北部の吉林省通化市にある長白山薬物研究所を訪れ、天仙液の共同開発者である王振国医師に贈った言葉です。

 

長白山薬物研究所を訪れた江沢民・中国国家主席(中央)
長白山薬物研究所を訪れた江沢民・中国国家主席(中央)


生みの親・王振国医師について

中国伝統の漢方医学でがんを治したい!

天仙液(てんせんえき)の生みの親でもある王振国医師は、「中国伝統医学の漢方でがんを治したい!」を決意して10年以上の研究の末に、天仙液の前身である天仙丸を開発しました。

王振国医師は、薬草の採取から始め、漢方医学書や中国各地に伝わる民間のがん治療などを集めて勉強し、研究と試験を繰り返したのです。


天仙液(てんせんえき)の生みの親である王振国医師がどのようにして「漢方でがんを治したい!」と決意し、どのようにして漢方を研究し、抗がん漢方薬を開発したのでしょうか。その歩んだ道をたどりながら、天仙液が生まれるまでの“天仙液誕生秘話”をご紹介致しましょう――。

王振国は1954年、中国の東北部にある吉林省・通化市の郊外にある山間の公益という村に、6人兄妹の次男として生まれた。農業を営む彼の家は貧しく、おまけに現金収入がほとんどなかったので、生活を維持するのがやっとという状態であった。

12羽のニワトリが生む卵が唯一の現金収入の道だった。当時は東北地方全体が貧しかった上、大規模な冷害がたびたび発生したので、彼らは木の皮を食べて飢えをしのいだこともあったと言う。

「私が7歳になって小学校に入ろうかと言うとき、母がこう言ったんです。『実はおまえを学校に行かせるだけのお金が家にはないんだよ...』」。

そこで、自分で採った薬草を売り、学校に行くお金を作ろうと考えたのです。私は体が大きかったし、大人に混じって薬草を採りに行ったりもしていて、5、6種類の薬草なら見分けられるようになっていました。長白山の麓に生まれたからこそ得られた幸運だと思いました」

やがて彼は、大人も顔負けするほどの薬草採りになる。中学に入るころには100種類以上の薬草を見分けられるようになり、少しでも高値がつく薬草を採り、それを半日かけて通化まで売りに行くようになっていた。それで家計を助け、彼自身が中学に行く費用も稼ぎ出したのだ。

1969年、中学を卒業した振国少年は人民政府の職員となり、村の養豚場で働くようになった。しかし、そうなってからも、彼は休みになると薬草を採りに山へ行っていた。ただ、今度は売るためではなく、すでに興味をもっていた薬草の勉強に使うためだった。

 

薬草を採取して勉強を続けた若き日の王医師
薬草を採取して勉強を続けた若き日の王医師

「初めて手にした給料で、『東北中薬草』という専門書を買いました。その本には、この地方で採れる薬草が図解されていて、それをどのように配合するとどんな病気に効果があるかが書かれていたんです。私は無理とはわかっていても、いつかは医者になりたいと思っていました。だから、本を頼りに薬草を集め、調合を繰り返していました」

そんな振国少年の独学の成果が問われるときがある日やって来た。村に気管支を患い苦しんでいる老人がいたので、彼は自分が調合した薬を頼んで飲んでもらうことにしたのだ。すると、その効果は2、3日して現われ、1ヵ月もすると、老人は畑仕事に出られるほどになった。

さらに同じころ、村で下痢が流行ったが、彼が調合し、煎じた薬でほとんどの症状が緩和した。村人たちは喜び、彼の薬草に関する知識を認めるようになった。それによって、仕事のほうも養豚担当から獣医へと昇格した振国は、さらに鍼灸の勉強を始めるようになった。彼が16歳のときのことだった。

公益村に薬草に詳しい、鍼灸もできる少年がいるらしい.....。 そんなウワサが村人を通じて広がり、それが人民公社衛生学院の院長の耳にまで届いて、振国を見習い扱いで呼び寄せてくれた。

しかも、その直後に人民政府が地方都市に医師を養成する学校を作る方針を出し、通化にも吉林省通化市衛生学校が設立されることになった。彼は、卒業後1年間は出身地で医師として働くことを条件に、ここに入学を許された。

「私は幸運でした。ここで中医学(漢方医学)と西洋医学を体系的に学ぶことができたのです。そして、卒業後に通化市の六道溝衛生学院と言うところで実習生として働いていたときに、その後私の進むべき道を決定づけるような出来事が起きたのです。
それはある日、がん病棟で起きました。病室から飛び出してきた12歳くらいの少女が私の足元にひざまずき、涙をいっぱいためながら懇願したのです。『先生、私のお母さんを助けて下さい!』見れば、病室の母親らしき女性は末期の肝臓がん患者で、お腹が妊婦のように膨れ上がっていました。一緒にいた先生のお話では、余命はあと十数日とのことでした。痛みに苦しむ母の姿に耐えかねた娘は、まだ医者ともいえないような私に助けを求めたのです。

1週間後に母親は亡くなりました。私は、医者なのに患者を助けてあげることもできないんだと、非常に悔しい思いをしました。そして、中国にはこんなに薬草がいっぱいあるのに、がんに効く薬草はひとつもないのか、と落胆もしました。

このとき私は、生涯の中で、がんに効く漢方薬を研究しようと心に誓ったのです。当時の私は、西洋医学、ことがんの治療に関してごく浅い知識しかありませんでしたが、これほど進んだ西洋医学でもがんは治せないとゆう現実に打ちのめされたのです。だからこそ、漢方医学にがん克服の道があるのではないかと考えたのです。がんという病の恐ろしさ、難しさを知らなかったための、無謀な決意といえなくもありませんが...」

重大な決意を胸に秘めた振国は、その後、吉林省の隣、遼寧省海城市の人民解放軍の衛生員となった。それは、中国に古くから伝わる、漢方によるがん治療のための薬草や処方、治療法等を広く集めるのに、格好の職場だったからだ。軍隊には立派な病院や専門書が整った図書館があり、また中国各地から集まってくる兵士たちから地方ごとのがん治療のための薬草や処方、民間療法等を聞きとることができたのだ。

「衛生員をしていた4年間で、薬草や処方だけで800以上が集まりました。私はこれらを整理し分類していけば、がん治療薬を作れるようになる日も近いと小躍りしていたものです。

しかし、それはあまりにも甘い考えでした。薬草の多くはすでに何らかの形で紹介されたものでしたし、処方も抗がん効果があるとされる生薬にいくつかの生薬を組み合わせたもので、参考にできるくらいのものでしかなかったのです」

だが、その後、通化市の公務員となり、製薬工場の工場長、市政府の秘書と仕事は変わっても、振国の薬草と処方收集は途絶えることがなかった。そして2、3年後には、中国各地を訪ね歩いて集めた民間療法や秘伝といわれるような処方は1200種にも達していた。彼は、今度はその処方に使われる生薬を分類し、それぞれの長所や欠点を調べ、整理することを始めた。そうすることによって、より効果的な配合による処方を見つけ、がん治療のための新しい漢方薬を生み出そうと考えたのだ。

「私はまず、抗がん作用をもつ生薬を始めとした60種類の生薬を絞り込みました。そして、マウスを使った実験等で、さらに半分に選別し、いよいよ処方作りにとりかかったのです」

振国は公務員を休職し、研究に没頭するために自宅に研究所を開いた。その名は、現在と同じ『通化長白山薬物研究所』。しかし、それは振国の家の一角に設けられたごく小さなスペースで、実験用マウスの飼育箱がその大半を占めていた。生薬を加工するための道具は借り物だったし、冷蔵庫は家の外に地中深く掘った穴を代用したものだった

 


   












   













   

遂に天仙液の前身、天仙丸が完成

そして1983年、配合の試験と実験を2年間ほど繰り返した結果、最初の試作薬が完成した。1300粒のカプセルに、振国は『天仙丸』と命名した。初期の主要成分であった天花粉(抗腫瘍、抗菌作用)と威霊仙(鎮痛、抗腫瘍作用)と言う二つの生薬の名をとったのだ。彼は喜びにふるえたが、本当につらく、苦しい時期は、実はこのとき始まったのだ。

「試作薬ができてからも、マウスによる実験や毒性試験を重ねました。また、腫瘍実験をして改良を続け、これならがんに対して効果があると言うところまで近づけていきました。そうやって、これならほぼ間違いないと言う薬ができた段階で、今度は近郊にあるいくつかの大病院で試用してもらおうとしたのです。しかし、結果はどの病院でも門前払いでした。漢方の本場、中国でありながら、どこも西洋医学が中心で、がんに効く漢方薬等ハナから信じてもらえなかったのです」

結局、臨床試験をしなければいけない段階になって、その道を閉ざされてしまったのだ。それから彼は、あちこちでがん患者を捜し出しては、天仙丸を試してみてもらえないかと頼んで歩いた。しかし、見ず知らずの男にいきなりがんに効く漢方薬を試せといわれても、そう簡単に信用してもらえるわけがない。現実の厳しさに直面して、振国は肩を落とした。しかも、長年の研究で私財を使い果たし、彼のポケットにはわずかばかりの小銭が残っているに過ぎなかった。

「でも、私は幸運でした。そんな私の噂を聞きつけて、胃がんの末期症状と診断されて医者にも見放されてしまった老人が訪ね来てくれたのです。私は彼に一瓶の天仙丸を手渡しました。2ヶ月後、老人からカルテが同封された手紙が届きました。そこには、胃の腫瘍が消滅し、近くを散歩するまで快復したと言う事実が記されていたのです」

この老人の話が広まり、やがて同様の患者が振国の元へ次々と訪れるようになった。そして、多くの人ががんの症状が軽くなったり、末期がんの患者が安らかな死を迎えられたと伝えてくれた。やがて、そんな天仙丸の効果を目の当りにした通化市役所の書記長が、権威ある研究機関である天津医薬科学研究所で臨床試験を行えるように手配してくれたのだ。そして半年後、研究所から届いた結果は「天仙丸には、これまでのがん治療薬にはみられない特有の効果がある」と言うものだった。振国が研究を始めて、実に11年の歳月を経てのことだった。

「この後、さらなる臨床試験を経て、1986年、天仙丸は『国家的レベルで研究する価値がある』と評価され、中国政府の国家的研究プロジェクトの一項目として取り上げられたのです。そして、中国中医研究所等各地の25の医療機関、大学病院で臨床試験が行われました。また、88年にはアメリカ国立がん研究所のRobert Shumaker博士らによる臨床試験で『10種類のがん、48種類のがん細胞に対する有効率は80.4%』と報告され、中国政府からは初の抗がん治療薬として認可されたのです」

 

生薬の研究された振国腫瘍防治院
生薬の研究がされた 振国腫瘍防治院

天仙丸を改良、液化して天仙液が誕生

こうして、'1986年に政府機関の『通化長白山抗がん薬物研究所』ができ、彼は主任研究員となった。そして、翌年には製薬化した天仙丸の実績が高く評価され、個人の研究所とすることを認められたのだ。

「私がそこで始めたのは、今度は天仙丸の液体化でした。胃腸での消化、吸収の早さと飲みやすさでは、内服液が最良だったからです。また、それにともなう成分の質的見直しもする等して、製薬会社の中日飛達聯合有限公司(本社・香港)との共同開発で液体化の研究を推し進めました。結局、この為に3年の年月がかかってしまいましたが、'1991年に最初の液体化されたがん治療薬『中国1号天仙液』が完成しました。この天仙液(てんせんえき)は、その後行った臨床試験の結果、天仙丸よりも高い評価を受けるものとなり、以後、さらなる研究開発を進めて、'1995年には『中国1号天仙液改良型』、2005年には『天仙1号 天仙液最新型』が、さらに'1999年には『中国1号天仙液強効型』が完成したのです。」

こうして、振国の心血を注いだがん治療のための漢方薬『天仙液』は、進化をとげ誕生した。そして、現在では20ヶ国で60万の人々が使用している天仙液が、世界の人々の元に送られている。その原料となるのは、ほとんどが長白山周辺で採取された生薬の新鮮なエキスだ。振国は最後にこう語った。

「長白山は古くから『薬草の宝庫』とか『漢方の故郷』といわれてきました。私はそんな素晴らしい土地に生まれ、漢方薬の研究をしてこられたのです。そして、この上質の薬草があったからこそ、天仙液を開発できたのだと思っています。現在も今後も、私の研究テーマは一貫して『究極の抗がん漢方薬』を作ると言うことです。そのために、より抗がん効果が高く、免疫力を高める生薬を見つけ出すことに力を注いでいくつもりです。薬草の研究こそが、私に課せられた運命だと思っているからです」

 

天仙液
   



 

王振國PROFILE

1954年、中国・吉林省通化市生まれ。1975年、中国・吉林省通化市衛生学校(医師学校)を卒業。1983年「天仙丸」を開発。1988年、中国で初めて「がん治療薬」と認定される。その後、より効果の高い「天仙液」を共同開発。これら一連の研究が認められ中国十大傑出青年選出、イギリスケンブリッジ国際伝記センターの国際知識人人名記録簿掲載、1989年ユーリカ世界発明博覧会にて「世界個人研究最高発明賞」を受賞。さらに、ベルギー王国栄誉勲章、将軍勲章、騎士勲章を受章。

現在、吉林省抗がん協会長白山薬物研究所所長、中国抗がん基金協会協調部副主任、吉林省抗がん協会副会長、珠海振国医薬科学研究所所長、广西中医学院客員教授、广州中医学大学客員教授、国際がん病康復協会会長等の要職をつとめる。上海、北京、珠海、通化等中国各地にがん治療専門病院を開設し、さらに各地の医療施設で政府要人を始め、多くのがん患者の治療にあたる漢方によるがん治療の第一人者。著書は中国を始め日本や香港、台湾、フィリピン、マレーシア等で多数上梓。また研究論文も多数発表。